「一期一会(いちごいちえ)」は、お茶を習っていない人でも知っている言葉です。別れの挨拶に使われたり、お店の看板に掛かっていたりします。
けれども、この言葉がもともとどこの言葉で、お茶席で何を指しているのかは、あまり説明されません。お稽古に通っていても、いざ聞かれると答えにくい言葉だと思います。今日は、確認できることだけを、順に並べてみます。
「一期に一度の会」という言い方
いま分かっているところでは、この考え方のいちばん古い手がかりは、千利休の弟子である山上宗二(やまのうえそうじ)が書いた『山上宗二記』にあります。
そこには、利休の言葉として、ふだんのお茶の湯であっても、露地に入ってから出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬うべきだという趣旨の一節が伝えられています。「一期に一度の会」。四字の熟語になる前の、もう少しほどけた言い方です。
注意しておきたいのは、これが利休自身の書いたものではなく、弟子が書き留めたものだという点です。利休の言葉として伝えられている、というところまでが確かな線になります。
四字として書かれたのは、ずっとあと
「一期一会」という四つの字で読まれるようになったのは、ずいぶん時代が下ってからです。
幕末の大老として知られる井伊直弼(いいなおすけ)は、茶の湯の人でもありました。その集大成として書かれた『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』は、安政四年(1857年)に完成したと考えられています。その冒頭に「一期一会」の語が置かれていることから、この四字を世に出したのは直弼だとされることが多いです。
ただ、ここも「とされる」止まりです。研究では、「一期一会」と「独座観念」のくだりが、書物の完成間近に書き足されたらしいことが指摘されています。誰が最初に四字で言ったのかを一本の線で決めるのは、むずかしいところのようです。
由来は、「考え方は利休のころまで遡れる」「四字としては幕末の『茶湯一会集』で広く知られた」という二段で覚えておくと、だいたい外しません。
「一期」は一生のこと
言葉の中身を見ておきます。「一期」は、もともと仏教の言葉で、人の一生のことを指します。生まれてから死ぬまでのひと区切り、という意味合いです。
ですから「一期一会」は、素直に読めば一生に一度の出会いということになります。辞書でもおおむねそう説明されています。
ここでよく誤解されるのが、「もう二度と会えない人との別れ」に限った言葉だと思われてしまうことです。そういう場面にも使えますが、もとの文脈はむしろ逆でした。宗二記の一節は、ふだんのお茶であってもという前置きから始まっています。毎週顔を合わせる相手との、いつもと同じお稽古の日のことを言っているのです。
同じ席は、二度と組み立てられない
お茶席という場で考えると、この言葉はそれほど観念的な話ではなくなります。
お茶席は、たくさんのものが重なってできています。その日の季節、炉か風炉か、床の軸、花入に入った花、使われた茶碗、集まった人、外の天気、話したこと。このうち一つでも変われば、同じ席ではありません。そして、まったく同じ組み合わせを二度そろえることは、実際にできません。
炉と風炉が季節で入れ替わることは炉と風炉|季節で変わるお点前と、見た目の違いに、お茶席が当日どう進むかははじめてのお茶会、当日の流れにまとめました。あの一つひとつが、その日かぎりの組み合わせだったことになります。
だから亭主は、その一度のために道具を選び、客はその一度として受け取る。「一期に一度の会のように亭主を敬う」という言い方は、心がけの話というより、事実としてそうであることを指しているように読めます。
なお、この言葉をお稽古のなかでどう教えるかは、流派によっても、先生によってもかなり違います。初歩の段階で言葉として教える先生もいますし、何年も触れずに、あるとき一言だけ出す先生もいます。意味を先に知っておくことと、お稽古で受け取ることは、別のことなのだろうと思います。
まとめ
- 考え方の出どころは『山上宗二記』で、利休の言葉として「一期に一度の会」と伝えられている
- 「一期一会」という四字で広く知られたのは、幕末の井伊直弼『茶湯一会集』(安政四年ごろ完成)から
- 「一期」は仏教の言葉で、人の一生のこと
- 別れの言葉に限らない。ふだんのお稽古の日のことを言った言葉でもある
- お茶席は季節・道具・人の組み合わせでできていて、同じものは二度そろわない
- お稽古でこの言葉をいつ・どう教えるかは、流派と先生で違う